Created on September 04, 2023 by vansw

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きみは首を振る。「いつもというのじゃない。 部屋でじっとしていることの方が多いと思う。 一人で閉じこもって、家族の誰とも口をきかないの。学校にも行かないし、ご飯も食べない。何 もせず、ただ床に座り込んでいるだけ。 ひどいときにはそれが何日も続く」


「何日もまったく食事をしないわけ?」、 それはぼくにはとんでもないことに思える。


彼女は肯く。 「ときどき水を飲むだけ」


「そんな風になるのには何か原因があるの? たとえば何か嫌なことがあって気持ちが落ち込む とか」


きみは首を振る。 「とくに具体的な原因みたいなものはないの。ただ純粋にそうなってしまう だけ。大きな波のようなものが、頭の上から音もなくかぶさってきて、それに呑み込まれて、心 が固くこわばってしまう。 それがいつやってきて、どれくらい続くのか、自分では計ることがで きない」


「そういうのって不便かもしれない」とぼくは言う。


きみは微笑む。厚い雲間から僅かに日差しがこぼれるように。 「そうね、たしかに不便かもし れない。そんな風に考えたことは一度もなかったけど、言われてみればたしかに」


「心がこわばる?」


きみはそれについて考える。「つまりね、心の奥の方で紐がぐしゃぐしゃにもつれて、固まっ てほどけなくなるみたいなことなの。ほどこうとすればするほど、余計にもつれて固まって いく。ぜんぜん収拾がつかないくらいこちこちに。そういうことって、あなたにはない?」 ぼくにはそういう経験はないみたいだ。 ぼくがそう言うと、きみは頭を小さく動かす。



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