Created on September 04, 2023 by vansw
89
きみは首を振る。「いつもというのじゃない。 部屋でじっとしていることの方が多いと思う。 一人で閉じこもって、家族の誰とも口をきかないの。学校にも行かないし、ご飯も食べない。何 もせず、ただ床に座り込んでいるだけ。 ひどいときにはそれが何日も続く」
「何日もまったく食事をしないわけ?」、 それはぼくにはとんでもないことに思える。
彼女は肯く。 「ときどき水を飲むだけ」
「そんな風になるのには何か原因があるの? たとえば何か嫌なことがあって気持ちが落ち込む とか」
きみは首を振る。 「とくに具体的な原因みたいなものはないの。ただ純粋にそうなってしまう だけ。大きな波のようなものが、頭の上から音もなくかぶさってきて、それに呑み込まれて、心 が固くこわばってしまう。 それがいつやってきて、どれくらい続くのか、自分では計ることがで きない」
「そういうのって不便かもしれない」とぼくは言う。
きみは微笑む。厚い雲間から僅かに日差しがこぼれるように。 「そうね、たしかに不便かもし れない。そんな風に考えたことは一度もなかったけど、言われてみればたしかに」
「心がこわばる?」
きみはそれについて考える。「つまりね、心の奥の方で紐がぐしゃぐしゃにもつれて、固まっ てほどけなくなるみたいなことなの。ほどこうとすればするほど、余計にもつれて固まって いく。ぜんぜん収拾がつかないくらいこちこちに。そういうことって、あなたにはない?」 ぼくにはそういう経験はないみたいだ。 ぼくがそう言うと、きみは頭を小さく動かす。
部
1
第