Created on September 04, 2023 by vansw
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った。残された人々は中央部の川沿いの平地や西の丘に集まり、そこで肩を寄せ合うように、ひ っそり言葉少なに暮らすようになったのだ。 それ以外の周辺の土地は放棄され、 荒れるがままに 捨て置かれた。
あとに残された住民がその「何か」について語ることはない。 語るのを拒んでいるというので もない。その「何か」が何であったのか、集合的記憶が丸ごと失われてしまっているように見え る。おそらく彼らが手放した影と共に、 そんな記憶も持ち去られてしまったのだろう。 街の人々 は地理についての水平的な好奇心を持たないのと同じく、歴史についての垂直的な好奇心もとく に持ち合わせていないようだった。
こみち
人々が立ち去ったあとの土地を往来するのは、単角獣たちだけだ。 彼らは壁近くの林の中を、 三々五々徘徊していた。 私が小径を歩いて行くと、獣たちは足音を聞きつけ、首をぐいと曲げて こちらを見たが、それ以上の興味は示さなかった。 そしてそのまま木の葉や木の実を探し続けた。 ときおり風が林の中を吹き過ぎ、枝を古い骨のようにかたかたといわせた。 私はその見捨てられ た無人の土地を歩きながら、壁の形状をノートに書き留めていった。
部
壁は私の「好奇心」をとくに気にもかけていないようだった。そう望めば、壁は私の探索をい くらでも妨害できたはずだ。 たとえば倒木で道を塞いでしまうとか、密生した藪でバリケードを 築くとか、道そのものをわからなくしてしまうとか。 壁の力をもってすれば、それくらいは簡単 にできただろう 日々壁を間近に見ているうちに、そういう強い印象を私は持つようになった。 この壁はそれだけの力を持っている、と。いや、それは印象というより確信に近いものだ。そし てまた壁は、私の一挙一動を怠りなく見守っていた。その視線を肌に感じた。
第
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