Created on September 02, 2023 by vansw

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でもきみは、いつものきみとはどこか違っている。その違いが何なのか、ぼくには指摘できな


い。ただいつもとは何かが違っているということだけをぼくは一目で理解する。


「どうかしたの?」とぼくはようやく声に出して言う。 「なにかあったの?」


きみは無言のまま首を横に振る。でも何かがあったことがぼくにはわかる。 人の可聴範囲の外 側にある、高速で繊細な羽ばたきの音をぼくは聴き取る。 きみは両手を膝の上に載せており、ぼ くは自分の手をそこにそっと重ねる。 季節はもうすぐ夏だというのに、小さな冷ややかな手だ。 ぼくはその手に少しでも温かみを伝えようとする。 ぼくらは長くそのままの姿勢を続けている。 きみはその間ずっと黙ったままだ。 正しい言葉を模索している人の一時的な沈黙ではない。 沈黙 のための沈黙それ自体で完結している求心的な沈黙だ。


小さな女の子たちはまだブランコを揺らしている。 その金具が軋むきいきいという音が、規則 正しくぼくの耳に届く。 ぼくらの前にあるのが広い海原で、そこに雨が降りしきっていればいい のにとぼくは思う。 もしそうなら、ぼくらのこの沈黙は今よりもっと親密で自然なものになるだ ろう。でも今のままでもいい。それ以上のものはあえて求めないことにしよう。



やがてきみはぼくの手をはなし、ひとこともなくベンチから立ち上がる。 何か大事な用件を思 い出したみたいに。 それに合わせてぼくも慌てて立ち上がる。 それからきみはやはり無言のうち に歩き始め、ぼくもそれについていく。 ぼくらは公園を出て、街の通りを歩き続ける。 広い通り から狭い通りを抜け、また広い街路に出る。 これからどこに行くとも、何をするともきみは言わ ない。それも普段はないことだ。いつものきみはぼくに会ったとたんに、待ちかねていたよう にたくさんのことを勢いよく話し始めるから。 きみの頭の中にはいつだって、ぼくに話さなくて


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