Created on September 02, 2023 by vansw
69
「あなたが来るのをこうして一人で待っているのが、なにより楽しいの」ときみは言う。
「待っていることが?」
「そうよ」
「ぼくと会うことそのものより?」
きみはにっこり笑う。でもその質問には答えない。ただこう言うだけだ。「だって、こうして 待っているあいだは、これからなにが起こるか、 これからなにをするか、可能性は無限に開かれ ているもの。そうでしょ?」
そのとおりかもしれない。 実際に会ってしまえば、 そんな無限の可能性は避けがたく、ひとつ きりの現実に置き換えられていく。きみにはそれがつらいのだろう。 きみの言おうとすることは、 理解できる。しかしぼく自身はそんな風には考えない。だって可能性はただの可能性に過ぎない。 実際にきみの隣にいて、 きみの身体の温かみを肌に感じ、手を握ったり、物陰でこっそり口づけ したりすることの方がずっと良い。
でも約束の時刻から三十分経過しても、まだきみは姿を見せない。ぼくは腕時計の針にひっき りなしに目をやりながら、不安に襲われる。 きみの身に何か普通ではないことが起こったのでは あるまいか? 心臓が乾燥した不吉な音を立てる。 きみは急な病に倒れたか、それとも交通事故 に遭ったかしたのだろうか? きみが救急車で病院に運ばれていくところを想像する。 救急車の サイレンに耳を澄ませる。
部
あるいはきみは、ぼくがその朝の電車の中できみについて性的な想像に耽っていたことを どのようにしてか見当はつかないが察知し、そんなみっともない真似をするぼくにもう会い
..
1
69 第