Created on August 29, 2023 by vansw
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立たないだろうことが、ぼくにはわかっていた。繰り返すようだが、もしぼくに何か話すべきこ とがあれば、きみはなんとしてでもぼくに連絡してくるはずなのだ。
そのようにして、ぼくはきみに関する一切の手がかりを失ってしまう。どうやらきみはぼくの 世界からこっそり退出していったようだ。足跡ひとつ残さず、説明らしい説明もなく。 その退出 が意図してのものなのか、あるいは何らかの不可抗力が働いた結果だったのか(たとえばドアを 押し破って冷たい海水がなだれ込んでくるといったような)、それはわからない。残されたのは 深い沈黙と、鮮やかな記憶と、かなえられない約束だけだ。
淋しいひとりぼっちの夏だった。 ほくは暗い階段を降り続ける。 階段は限りなく続いている。 そろそろ地球の中心まで達したんじゃないか、という気がするくらい。 でもぼくはかまわずどん どん下降していく。 まわりで空気の密度や重力が徐々に変化していくのがわかる。 しかしそれが どうしたというのだ? たかが空気じゃないか。たかが重力じゃないか。
そのようにして、ぼくは更に孤独になる。
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