Created on August 29, 2023 by vansw
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ぼくはもちろん東京からもきみに手紙を書き続ける。しかし返事はない。その時期にきみ宛て に書き送った大量の手紙はどのような運命を辿ったのだろう? それらの手紙は果たしてきみに 読まれたのだろうか? それとも封を切られることもなく、誰かの手でごみ箱に捨てられたのだ ろうか? 永遠の謎だ。しかしぼくはそれでもなおきみに手紙を書き続ける。いつもの万年筆と、 いつもの便箋と、いつもの黒いインクで。手紙を書く以外に当時のぼくにできることは何もなか ったから。 17121
それらの手紙の中で、ぼくは東京での日々の生活について書き記す。 大学の様子について書く。 大半の授業が想像を超えて退屈で、まわりの人々にろくに関心を抱けないことについて。 夜にア ルバイトをしている新宿の小さなレコード店について。その活気に満ちた騒々しい街について。 そしてきみのいないぼくの生活がどれくらい味気ないものであるかについて。 もしこの今きみが そばにいてくれたら、ここで二人で一緒にどんなことができるか、そういう様々な心躍る計画に ついて。しかし返事はない。 深い穴の縁に立って、真っ暗な底に向かって語りかけているような 気分だ。 でもそこにきみがいることはわかっている。姿は見えない。声も聞こえない。でもきみ はそこにいる。 ぼくにはそれがわかる。
ぼくに残されているのは、きみが過去にターコイズブルーのインクで書いて、ぼくに送って くれた分厚い手紙の束と、借りたまま返さなかった一枚のガーゼの白いハンカチーフだけだ。 ほ くはそれらの手紙を何度も何度も大事に読み返す。 そしてハンカチーフを手の中にじっと握りし める。
東京にいるぼくはひどく孤独な生活を送っている。 きみとの接触を失ってしまったことで(そ
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