Created on August 29, 2023 by vansw

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くることもない。電話もかかってこない。ぼくは思い切ってきみの家に電話をかけてみる。 しか し何度ダイヤルを回しても今では、「この番号は現在使われておりません」というテープのアナ ウンスが聞こえるだけだ。いずれにせよ、電話はぼくの役には立たない。もしきみがぼくと何か を話したければ、きみがぼくのところに電話をかけてくるはずだから。


そのようにして音信がすっかり途絶え、きみと会うことも話すこともかなわなくなってしまう。 年が変わり、二月に大学の受験があって、ぼくは東京の私立大学に進学することになる。 地元の 大学に進む可能性ももちろんあったし、 最初はそのつもりでいたのだが(そうすれば少しでもき みの近くにいられる)、ずいぶん思案した末に、あえて東京に出て行くことを―つまりきみか ら物理的な距離を置くことを選んだ。ひとつにはこのまま家にいれば、きみからの連絡をじ っと待ち受ける生活を、際限なく続けることになるだろうと思ったからだ。 そしてそんな「待ち 受け生活」の中でぼくはおそらく、きみのこと以外何ひとつ考えられなくなってしまうだろう。 もちろんそれでもかまわない。だってぼくはこの世界にある何よりきみを求めているのだから。 しかし同時に、ぼくには確かな予感のようなものがあった。そんな生活をいつまでも続けてい たら、きっと自分を正しく維持することができなくなり、その結果ぼくの中にある大事な何かが 損なわれてしまうだろう――そういう予感が。 どこかで区切りをつけなくてはならない。 またお おまかにではあるが、ぼくにはわかっていた。ぼくときみとの関係にとって物理的な距離は、精 神的な距離に比べればさして重要な意味を持たないということが。 もしきみがぼくを本当に求め るなら、ぼくを本当に必要とするなら、 それくらいの距離など何の障害にもならないはずだ。 だ からぼくは思い切って生まれ育った街を離れ、東京に出て行くことを選択する。




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