Created on October 15, 2023 by vansw

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「ええ、それを噛んだのはぼくです。あちら側の世界であなたの右の耳たぶを噛むことによって、 ぼくはこうしてこの街に入ってこられたのです。 そしてこちら側の世界で左側を噛むことによっ て、あなたと一体化することができます」


その是非を判断するには時間が必要だ。 私は困惑した頭を整理しなくてはならない。痺れた身 体を正常な状態に戻さなくてはならない。 イエロー・サブマリンの少年とひとつになるかどうか、 それは私にとっておそらく重要な決断になるはずだ。それによって私という人間のありようが大 きく変わってしまうかもしれないのだ。この見ず知らずの少年の口にすることをそこまで信用し ていいものだろうか? 何か大事なことを見逃しているのではないだろうか?


「申し訳ありませんが、長く考えている時間の余裕はありません。 ぼくはこの街における不法侵 入者です。 ぼくの存在が門衛の知るところとなれば、とてもまずいことになります。街の誰かが ぼくの姿を目にして、門衛に告げているかもしれません。そうすれば、彼は即刻ぼくを捕まえに やって来るでしょう。 彼にはそれだけの力があります。 ですから、できるだけ早くあなたと一体 化する必要があります」


まだわけがわからなかった。どうしてこの少年が私であり、私がこの少年であるのか? それ はいったい何を意味するのか?


しかしなぜかはわからないが、この見ず知らずの少年が落ち着いた声音で語ることを、論理の 筋道はよくわからぬまま、そっくり受け入れていいような気持ちに次第になり始めていた。 「はい、ぼくの言うことをどうか信じてください。 ぼくとひとつになることによって、 あなたは より自然な、より本来のあなた自身になることができるのです。 決してあなたを後悔させたりは


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