Created on October 15, 2023 by vansw
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「ぼくのことを怖がったりしないでください」と少年は言った。 「あなたに害を与えるようなこ とはしません」
私は小さく青いた。 ほんの僅かだけ顎を動かして。 言葉を発しようにも口を開くことができな かったからだ。
「夜中にこのように突然枕元に現れて驚かれたと思いますが、 こうする以外に、あなたと二人き りでお話をする機会を持つことができなかったのです」
私は何度か瞬きをした。 瞬きはできる。 顎を少し動かすことはできる。しかしそれ以外の身体 の部分は言うことをきいてくれない。
「頼みごとがあるのです」と少年は言った。 「そのためにぼくはここに来ました。 壁を通り抜け て」
門衛の許可を得ることなくということなのだろうか?
「ええ、そのとおりです」と少年は私の考えを読み取って答えた。 この少年にはそういうことが できるのだ。
「門衛に知られることなく、眼を傷つけられることもなく、この街に入ってきました。 この街に いることを正式に認められてはいません。ですから人目につかないようにこんな時刻にやって来 たのです」
きみには影があるのか、と私は質問した。影を持つ人間がこの街に入ることはできない。
「いいえ、ぼくには影がありません。 ぼくは自分の抜け殻をあちらの世界に残してきました。 た ぶんそれがぼくの影と呼ばれるものなのでしょう。 それとも逆に、このぼくが影なのかもしれま
617 第三部