Created on October 15, 2023 by vansw
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て、私の顔を見おろしている。私の心はもっとかき乱されていいはずだ。 恐怖を感じてもいいは ずだ。それが普通の反応だろう。なのに私はこうして不思議なくらい平静を保っている。なぜだ ろう?
その知らない誰かは、私の考えをそのまま読み取ったかのようだった。
「あなたの生まれは水曜日です」とその誰かは言った。 若い男の声だ。 少し甲高い響きがある。 声変わりしてからまだそれほど年月が経っていないかもしれない。
私の生まれが水曜日?
「あなたは水曜日に生まれました」とその誰かは言った。
私はベッドの上で身を起こそうと試みたが、身体にうまく力が入らなかった。金縛りにあった ように手脚の感覚がつかめない。 耳たぶの疼きももう感じられなかった。 神経に何か異変が持ち 上がったのかもしれない。 私は仕方なくそのままの格好でベッドに横になっていた。
水曜日に生まれたことが、私にとって何かしらの意味を持つのだろうか?
「いいえ、それはあくまで単なる事実に過ぎません。 水曜日はただの一週間のうちの一日です」 とその若い男は言った。 変更の余地のない数学の定理を解説するみたいに簡潔に、感情を込める
ことなく。
暗闇の中で相手の顔はまだ見定められなかったが、そこにいるのはイエロー・サブマリンのパ カを着た少年なのだろう。 それ以外の可能性は思いつけなかった。 彼は夜のいちばん深い時刻 に、ここまで私に会いにやって来たのだ。私が水曜日に生まれたという「単なる事実」を挨拶代 わりの手土産のようにして。
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