Created on October 15, 2023 by vansw
605
れ以上考えないことにする。 私にはなすべき仕事があるのだ。
私は彼女が私のために用意してくれた、 どろりとした薬草茶を最後の一滴まで飲み干し、 それ から奥の書庫に移動する。 彼女が棚から選んだ古い夢を、両手を使って静かに読み始める。
「耳をどうかしたの?」と少女が突然私に尋ねる。 「その右側の耳たぶを」
私は自分の右の耳たぶに手をやる。 その途端にまぎれもない痛みを感じる。私はその痛みのた めに小さく顔を歪める。
「そこのところ、 赤黒くなっているわ。 まるで何かに強く噛まれたみたいに」
「そんな記憶はないんだけれど」と私は言う。
本当にそんな覚えはないのだ。 彼女に言われるまで、痛みすら感じなかった。 しかし今では、 私の耳たぶは心臓の鼓動にあわせて確実に疼いていた。 彼女に指摘されたことによって、噛まれ たことを耳が急に思い出したみたいに。
彼女は私のそばによって、耳たぶをいろんな角度から仔細に観察し、指でその部分をそっとさ わる。そうして彼女と触れあえることを、私は嬉しく思う。 たとえ小さな指先と耳たぶの間のこ とであったとしても。
部
「なにか薬をつけておいた方がいいみたい。 塗り薬を作ってあげるから、少し待っていてね」、 そして彼女は足早に書庫から出て行く。
第
私は目を閉じて、静かに彼女が戻るのを待ち受ける。 私の心臓は堅く規則正しく脈打っている。
木立の中でキツツキが立てる音のように。私の耳たぶにいったい何が起こったのか、まったく見
605