Created on October 15, 2023 by vansw
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え、家を出ていつもと同じ道をいつもと同じように歩いて、 仕事先の図書館に向かう。 歩数だっ て日々たいして違わないはずだ。 そして図書館の奥の書庫で 〈古い夢〉を読む。 指先と眼が疲労 を覚え、それ以上うまく読めなくなるまで。
そこでは時間は意味を持たない。 季節が巡るのと同じように、時間もまた巡る。ぐるぐると巡 る。同じところを? いや、それはわからない。時間はそれなりのやり方で少しずつ進行してい るのかもしれない。ただ正直なところ 「ぐるぐると巡っている」と表現するしかないのだ。 あと のことは時間に任せるしかない。
しかしその夕刻、イエロー・サブマリンのパーカを着た少年の姿を川向こうに見かけたことで、 私にとっての時間は、通常のあり方をいくらか乱されることになった。舗道の敷石を踏む私の靴 音はいつもとは少し違って聞こえる。 中州に生えた川柳の枝の揺れ方も、いつもとは僅かに違っ ているように感じられる。
かわやなぎ
図書館ではいつものように少女が私を待っている。 彼女は先にそこに来ていて、私のために準 備を整えている。 寒い季節であればストーブに火を入れ、カウンターに向かって薬草茶をこしら えている。私の眼の傷を癒やすための特別なお茶だ。 薬草茶は私の眼を完治させることはないが、 それがもたらす痛みを和らげてくれる。私は〈夢読み〉として、その傷ついた眼を持ち続けなく てはならない。
そして私が〈夢読み〉である限り、私はその少女と日々顔を合わせ、 数時間を共に過ごすこと ができる。 彼女は十六歳で、彼女にとっての時間はそこで静止している。
603 第三部