Created on August 29, 2023 by vansw
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広げ、一人ひとりふわりと空中に身を投じていった。 女たちも子供たちも一人残らず、表情をす 分も変えることなく。 見ていて、 この人たちは本当に空を飛べるのかもしれないと思ったほどだ。 しかしもちろん彼らには空なんて飛べなかった。私たちは走って崖っぷちまで行き、おそるお そる下をのぞき込んだ、谷底には死体が散乱していた。 彼らの纏っていた白衣は旗のように広が り、飛び散った血や脳髄に染まっていた。谷底には岩場が鋭い牙を並べて待ち構えており、それ らが人々の頭を粉々に砕いたのだ。 それまで戦場で多くの悲惨な死体を目にしていたが、 それで もその谷底に広がる血みどろの光景には、目を背けたくなるものがあった。 そして私たちをなに よ震撼させたのは、彼らの寡黙さと無表情さだった。 どんな事情があるにせよ、自らの無残な 死を目前にしてあれほどまで冷静で無感覚でいられるものだろうか?
「なぜだ」 と私は隣にいた軍曹に尋ねた。「彼らはいったい何ものなんだ? なぜこんなことを しなくてはならないんだ?」
軍曹は首を振った。 「たぶん、意識を殺すためでしょう」と彼は乾いた声で言った。 そして手 の甲で口元を拭った。 「時にはそれが、なにより楽なことに思えるのです」
「私の影が死にかけているみたいだ」、 私はある夜、図書館で君にそう打ち明ける。
我々はストーブの前で、テーブルを挟んで向き合っていた。その夜、君は熱い薬草茶と一緒に、 白いパウダーのかかった林檎菓子を出してくれた。 林檎菓子はこの街では貴重な食べ物だ。 きっ
と門衛から林檎をもらい、私のためにそれを作ってくれたのだろう。
「そう長くはもつまい」と私は言う。 「ずいぶん弱っているようだから」
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