Created on October 15, 2023 by vansw
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その夜、私はその不確かな壁を乗り越えたらしかった。それとも通り抜けたというべきなのだ
ろうか――どろりとしたゼリー状の物質を半ば泳ぎ抜けるみたいに。
気がついたとき私は壁の向こう側にいた。あるいは壁のこちら側に。
それは夢なんかではない。 そこにある情景はどこまでも論理的であり、継続的であり、整合的 なものだった。ひとつひとつの細部を私ははっきり見て取り、認知することができた。私はその 世界に立って、それが夢ではないことを思いつく限りの方法で何度となく確認した(夢の中で人 はまずそんなことはしないはずだ)。 そう、それは夢ではない。 あえて定義するなら、現実のい ちばん端っこに存在する観念とでも言うべきものだ。
部
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季節は夏だ。日差しは強く、賑やかな蝉の声があたりに満ちている。夏の盛り、おそらく八月 だろう。私は川の中を歩いていた。 ズボンを膝までまくりあげ、白いスニーカーを脱いで手に持 第 ち、足を水の中につけていた。 山からまっすぐ流れてきた水はひやりと冷たく、きれいに澄んで いた。水の流れを踝に感じることができた。浅い川だ。ところどころに深みがあるものの、そこ
くるぶし
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