Created on October 13, 2023 by vansw
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った。
「そう言ってくれるのは私としては嬉しいけど、それには長い時間がかかるかもしれない。 とい うか、 積極的にせよ、受容的にせよ、そういう気持ちにはもう二度となれないかもしれない。 解 決しなくてはならない問題が、私の側にいくつかありそうだから」
「待つことには馴れている」
彼女はまた少しのあいだ考えていた。 そして言った。
「そんなに我慢強く待つだけの価値が、私にはあるかしら」
「どうだろう」と私は言った。「でも長い時間をかけても待ちたいと思う気持ちには、それなり の価値があるんじゃないかな」
彼女は何も言わず、私の唇に唇を重ねた。唇はやはり温かく柔らかく、そしてそれ以外の身体 の部分とは違って、何かに堅く防御されてはいなかった。
私は彼女の身体の温かく柔らかな部分と、堅固で防御的な部分の感触をそれぞれに思い出しな がら、家までの道を歩いた。月のきれいな夜で、ウィスキーとビールの酔いがまだ微かに身体に 残っていた。
「待つことには馴れている」と私は彼女に言った。でも本当にそうだろうか、私は自らにそう問
いかける。 吐く息は堅い疑問符となって空中に白く浮かぶ。
私は待つことに馴れているのではなく、待つという以外に、選択肢を何ひとつ与えられなかっ ただけではないのか?
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