Created on October 11, 2023 by vansw

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「神隠し?」


「ええ、彼らが実際にその言葉を使ったのよ。 弟は家からいなくなったけれど、 それは家出とか そういうのじゃない。 夜のあいだに突然、 理由もなく姿を消してしまった。まるで神隠しにあっ たみたいに。 彼らはそう言った」


「神隠しなんて、なんだかずいぶん古風な言い回しだ」


「でもこの山あいの小さな町には、言葉の響きが似合っているかもしれない」と彼女は言った。 「もちろんあなたはきっと知っていたのでしょうね。 あの子が姿を消してしまったことは」 「知っていた」


「で、私がその話をすると、二人は首を捻っていた。弟はとても人見知りをする性格で、外に出 て知らない場所に入ったりするようなことはまずない。 なのにどうしてその日、この店に入って きたんだろうと。それで私は説明した。 それはたぶんあなたが、つまり町立図書館の新しい館長 さんが、カウンター席に座って作りたてのおいしいコーヒーを飲んでいたからだろうって。 あな たが中にいるのを外からガラス窓越しに見かけて、中に入ってきたんじゃないかと。だってあの 子はあなたになにか用事があったみたいだったから」


どう言えばいいのかわからなかったので、私はしばらく黙っていた。


「ひょっとして私、余計なことを言ってしまった?」


「いや、そんなことはまったくない。ぼくがそこにいたから、それを目にしてあの子は店の中に 入ってきたんだ」


あるいは彼はその朝、 そこまで私のあとをつけてきたのかもしれない。


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