Created on August 29, 2023 by vansw
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長いあいだ手紙が書けませんでした。 何度も書きかけたんだけど、そのたびにザセツしまし た。文章を数行書くと、そこで壁にどすんとぶつかってしまいます。ひとつの文章が次の文章 にどうしてもつながらないのです。 どの言葉もみんな、結びつきをきらってべつべつの方向に 散っていってしまいます。そしてもう二度と戻ってはこない。
それはわたしにとってほとんど初めての経験でした。というのはこれまで、ほかのいろんな ことが全然うまくいかないときでも、文章だけはわたしをうまく助けてくれたからです。 ひと つの文章が次の文章へとつながっていって、心の内側にあるものをそこで表現することができ ました(もちろんもちろん、 ある程度まではということですが)。でもそれももうできないの だと思うと、ほんとうにがっかりしてしまいました。 いいえ、がっかりしたなんてものじゃな い。 部屋のすべてのドアがぴたりと閉ざされて、外から頑丈な鍵をかけられてしまったみたい な絶望的な気持ちでした。 深い無力感・・・・・・海の底に沈められた重いナマリの箱。 もう誰にもそ れを開けることはできない。だってもし手紙が書けなくなったら、もうあなたにわたしの気持 ちを伝えることもできなくなってしまいます。 そんなの、呼吸ができないのと同じことです。 もう一週間以上、誰ともひとことも口をきいていません。 わたしが口にする(あるいはこれ から口にしようとする)言葉はどれもわたしの意図とは異なったもので、何ひとつ意味をなさ ないように思えるからです。 だからずっと沈黙を守っています。 それは決して沈黙を目的とし 沈黙ではありません。でもそんな本当ではない [そこに鉛筆で濃い下線がぐいと引かれてい た言葉を口にしたら、自分が粉々に砕けて、塵あくたのかたまりになってしまいそうに思え るのです。
ちり
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