Created on October 11, 2023 by vansw
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私は首を傾げた。「しかしずいぶん奇妙な出来事ですね。わけがわからないというか」
「ええ、まったくもってわけがわかりません。ろくに服も身につけず、靴も履かないで、鍵を開 けた形跡もなく、どうやって外に出て行ったのでしょう? それも真冬の厳寒の夜に。もちろん 警察にも連絡はしたのですが、ほとんど相手にもしてくれません。 もう少し様子を見てくれとい うばかりです。 そんなわけで、ひょっとしてあなたが何か事情をご存じないかと、藁にもすがる ような思いで、ここにうかがったような次第です」
「私が?」
「はい、あなたは息子と話をされたことがあると耳にしたものですから」
私は慎重に言葉を選んで答えた。
「ええ、たしかに一度か二度、M* *くんと言葉を交わしたことはあります。 でもそれは手振り や筆談を交えた、とても切れ切れなものでした。 会話と呼べるようなまとまったかたちのもので はありません」
「それでそのときは、M**の方からあなたに話しかけてきたのでしょうか?」
「ええ、そうですね。 彼の方から話しかけてきました」
父親はため息をつき、架空の焚き火にあたっているみたいに、大きな両手を身体の前でごしご しと擦り合わせた。
「こんなことを申し上げるのはまことにお恥ずかしいのですが、私はもう長いこと、何年ものあ いだあの子とまともに話をしたことがありません。私が何かを話しかけても、返事は戻ってきま せんし、あの子の方から話しかけてくることもありません。 母親とは少しは言葉を交わすようで
515 第二部