Created on October 11, 2023 by vansw

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彼は黒縁の眼鏡をはずし、厚いレンズを点検するようにしばし眺めてから、元に戻した。


「家の中から出た形跡はありません。ドアも窓も内側からすべてしっかり鍵がかけられておりま した。衣服もそっくり残されたままです。家内は息子の衣服を詳細に管理しておりますので、そ のことに間違いはないと言っています。 申し上げるまでもないことですが、 この寒さの中、 夜中 にパジャマ姿で外に出て行くことはまず考えられません」


父親は自分が口にした事実を反芻するかのように、 しばらく沈黙していた。


私は尋ねた。「つまりM**くんは夜のうちに、どんな方法だかはわからないけれど、何らか の方法をとってお宅から姿を消してしまった、そういうことなのですね?」


父親は肯いた。 「ええ、息子はまるで煙のように私たちの前から消えてしまったのです。そう 言う以外にどうにも説明がつきません」


「彼が突然姿を消すというようなことは、これまでにはなかったのでしょうか?」


父親は首を振った。 「M* * には、おそらくあなたもお気づきになったと思いますが、少しば かり特異な傾向が生まれつき具わっています。 普通の子供とは言えませんし、奇矯な振る舞いに 及ぶこともときとしてあります。 しかしこれまでそういう、行方がわからなくなるといったよう な問題を起こしたことは一度もありません。 日常の習慣をなにより大事にする子供でして、いつ たん習慣ができあがると、それを着実に守って生活を送っていきます。電車が固定された軌道の 上を進んでいくみたいに、その習慣から外れることはまずやりません。 習慣が乱されると混乱し ますし、あるときには怒りだしたりもします。ですから、どこに行ったのか行方がわからなくな るというようなことは、 これまで一度も起こらなかった」


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