Created on October 11, 2023 by vansw
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「いいえ、残念ながらお目にかかったことはありません。私が着任した時には既に亡くなってお られました。 ただいろんな人から生前の子易さんの話をうかがい、 業績、人柄共にずいぶん優れ た人物であったという印象を受けました」
「ええ、立派な方でした。 この図書館を設立するために私財を投じ、尽力されました。 この町に 彼のことを悪く言うような人は一人もおりません。ただ・・・・・・」と言いかけて、父親は少し言いよ どんだ。 そして頭を働かせ、 適切な言葉を選んだ。 「......ただ、 なんと申しますか、その言動に は少しばかり独特な面もありました。いくぶん風変わりと申しますか。 とくに息子さんと奥さん を事故で亡くされてからは。 と言いましても、それが何か具体的に問題になるようなことはあり ませんでしたが」
私は曖昧に背いた。
「今日このように突然ここにうかがいましたのは、息子のM**に関してのことです」と彼は言 った。
私はもう一度曖昧に背いた。
父親は言った。「添田さんから、おおよその経緯はお聞き及びになっていると思うのですが、 息子が夜のうちに姿を消してしまったのです。 最後にその姿を目にしたのは昨夜の十時頃で、今 朝七時前に家内が息子の部屋に様子を見にいくと、ベッドは無人でした。 布団には人の眠って いたあとが残っていて、 汗でぐっしょり濡れておりました。 息子は夜のあいだ、 ずっと高熱を出 していたようです。 しかしその姿は見当たりません。 家内は息子の名前を呼びながら、うちの中 を必死に探し回りました。私も一緒になって探しました。 でもどこにも見当たりません」
513 第二部