Created on October 11, 2023 by vansw
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「それで」と添田さんは言った。「あの子の父親が、 できればあなたとお話をしたいとおっしゃ
っているのですが」
「ぼくと?」と私は驚いて聞き返した。
「ええ、あなたにお目にかかって、じかにお話をしたいと言っておられます」
「もちろんそれはかまわないけれど、具体的にどうすればいいんだろう?」
「今日の三時くらいに、この図書館にお見えになるということですが、それでよろしいでしょう か?」
私は腕時計に目をやった。
「わかりました。 二階の応接室でお目にかかることにしよう」
しかし少年の父親と対面して、いったい何を話せばいいのだろう? まさか「壁に囲まれた 街」の話を持ち出すわけにはいかない。少年はこちら側の世界を離れて、 その街のある 「もうひ とつの世界」に移行したのかもしれないなんて。
子易さんが今ここにいてくれればいいのだがと私は切実に願った。彼の深い知恵と適切な助言 を私はなにより必要としていた。しかしもう彼はおそらくこの地上のどこにも存在しない。 どこ かに永遠に消えてしまったのだ。 壁の時計を見上げながら、私は深いため息をついた。
三時少し過ぎに少年の父親が図書館にやって来た。 添田さんが彼を二階に案内して部屋に入れ、 私たち二人を引き合わせた。 簡単な紹介がおこなわれ、私は名刺を渡し、彼も名刺をくれた。
511 第二部