Created on September 25, 2023 by vansw
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を巡らせていた。あるいは考えを巡らせているように見えた。その身体は微動だにしなかった。 まったく息をしていないようにも見えた。 しかし考えてみれば、彼は既に死んでしまった人間な のだ。 息をしなくても不思議はないのかもしれない。
あるいは人は二度、死を迎えるものなのかもしれない。地上における仮初めの死と、ほんもの の魂の死だ。しかしもちろん、誰もがそういう死に方をするわけでもあるまい。 子易さんはきっ と特殊なケースなのだろう。
「あの少年が、 あなたとそうやって話ができたというのは、喜ばしいことです」と子易さんはよ うやく口を開いて言った。 「あの子は誰とでも話ができるというものではありませんから。とい うか、ほとんど誰ともしゃべらんのです」
「でも会話といっても、ほとんどが無言のジェスチャーと筆談でした。 実際に声を出したのはほ んのときどきです」
「それでよろしいのです。 わたくしとの会話もおおよそそのようなものでした。 それがあの子の 普通の話し方なのです。そういう切れ切れの意思の疎通が、 彼には自然なものなのです。 少なく ともこの世界においては」
ストーブの中で猫がうなるようなふうっという音が聞こえ、振り向いてそちらに目をやった。 しかし薪の状態に変わりはなかった。おそらく給気口で空気が舞うか何かしたのだろう。私は子 易さんに目を戻した。 彼は同じ姿勢のまま薄く目を開けていた。
「彼は壁に囲まれた街に移り住むことを強く望んでいます」と私は言った。「私がかつて暮らし ていた街にです。 しかしそこに入るには、こちらの世界における自分を消し去る必要があります。
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