Created on September 25, 2023 by vansw

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考え事をしながら歩いていたせいか、気がつくと、私の足は自宅にではなく図書館に向かって いた。 腕時計の針は九時四十分を指していた。


どうしたものか一瞬迷ったが、そのまま図書館に立ち寄ってみることにした。 誰かと久しぶり に長く話をしたことで、またたぶん頬に残っていた柔らかな唇の感触のせいもあるだろう、私は どこかで彼女の気配がまだ残っている自宅ではないところで気持ちを少し落ち着かせた かった。 そんな心持ちになるのは、考えてみれば久しぶりのことだ。


なんだか高校生のデートみたい、と彼女は言った。 そう言われてみれば、たしかにそうかもし れない。この土地にあっては、彼女も私も多くの意味でまだ「初心者」のようなものなのだ。 新 しく生じた環境に、心も身体もまだじゅうぶん馴染んではいない。 新品の衣服に身体がうまく慣 れないみたいに。 動作にもしゃべり方にも、お互い少しずつぎこちないところがある。 頬に軽く お礼のキスをされただけで気持ちが高ぶり、帰り道を間違えるなんて、レベルとしてはたしかに 高校生並みかもしれない。


489 第二部