Created on September 25, 2023 by vansw

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彼女が布巾で拭いてくれた)、壁の時計の針は九時前を指していた。そろそろうちに帰らなくち 明日はまた仕事が早いからと彼女は言った。私は彼女のコートとマフラーをとってきた。 そ してコートを着せかけた。 まっすぐな黒い髪を、彼女はコートの襟の中にたくし入れた。 「夕ご飯をありがとう」と彼女は言った。 「とてもおいしかったわ」


「家まで送るよ」と私は言った。


「大丈夫よ。自立した大人だし、一人で安全にうちまで帰れるから」


「少し歩きたいんだ」


「こんな寒い夜に?」


「寒さというのはあくまで相対的な問題だ」


「もっと寒い夜もあった?」と彼女は尋ねた。


「もっと寒い場所もあった」


彼女はしばらく私の顔を見て、 それからこっくり背いた。「うん。じゃあ、送ってもらうわ」


かかと


二人で肩を並べて、川沿いの道を歩いた。 彼女のブーツの踵が、ところどころで凍った地面を 踏んで、ぱりぱりと固い音を立てた。私はその音を聞きながら、壁に囲まれた街で、図書館の少 女を住まいまで送ったときのことを思い出さないわけにはいかなかった。そこではせせらぎの音 が聞こえ、時折夜啼鳥の声が聞こえ、川柳の枝が風に揺れた。彼女が身に纏った古いレインコー トは、 かさこそという乾いた音を立てていた。


かわやなぎ


私の中で時間が入り乱れる感覚があった。二つの異なった世界が、その先端部分で微妙に重な


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