Created on September 25, 2023 by vansw

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それから彼女はゆっくり私の前を離れ、ガスの火を止め、沸いた湯で新しいコーヒーを作り始 めた。私は席を立ってダッフルコートを着た。そして勘定を払い、店を出ようとした。 しかしそ こで何かが私を引き留めた。私は歩みを止め、もう一度店の中に戻り、カウンターの中でコーヒ ーを作っている彼女に話しかけた。


「こんなことを言うのは厚かましいかもしれないけど」と私は言った。 「食事か何かに、いつか 君を誘ってもかまわないかな」


その言葉はとても自然に、すらりと私の口から出てきた。 ほとんど迷いもなく、ためらいもな く。頬がいくらか赤らんだ感触があるだけだった。


彼女は顔を上げて私を見た。 目を軽く細めて、見慣れないものでも見るみたいに。


「いつか?」と彼女は言った。


「今日でもいいけど」


「食事か何か?」


「たとえば夕食とか」


彼女は唇を少しだけすぼめて、 それから言った。「今日の夕方の六時には店を閉めます。 後か たづけに三十分近くかかるけど、もしそれからでよければ」


それでいいと私は言った。 午後六時半は夕食にふさわしい時刻だ。 「六時にここに迎えに来る よ」


私は店を出て、家までの道を歩いた。 そして歩きながら自分が彼女に対して口にした言葉をひ とつひとつ思い返し、 不思議な気持ちになった。その瞬間が来るまで私には、彼女を食事に誘う