Created on September 25, 2023 by vansw
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「そうかもしれないけど、こんな寒い土地には不向きだ。 次の冬には新しくダウンコートを買お うと思っていたところだよ。 その方がずっと暖かくて軽いから。ここで冬を迎えたのは初めてだ から、気候のことがよくわからなくて」
「でも私、昔からなぜかダッフルコートって好きなんです。 心が惹かれます」
「そう言われるとコートも喜ぶだろうけれど」と私は言って笑った。
「ひとつのものを長く大事に使うタイプなんですか?」
「そうかもしれない」と私は言った。誰かにそんなことを言われたのは初めてだったが、言われ てみればそのとおりかもしれない。ただ買い換えるのが面倒なだけなのかもしれないが。
店には私のほかに客はいなかったし、彼女はコーヒーを作る湯が沸くのを待つあいだ、 軽い話 ができる相手を歓迎しているようだった。
「ここで冬を迎えるのが初めてだというと、もともとこの町の方じゃないんですね?」
「去年の夏にここに移ってきて、住み始めたばかりなんだ」 と私は言った。「だからこの町のこ とはほとんど何も知らない。それまではずっと東京に住んでいたから」
あの煉瓦の壁に囲まれた街に暮らしていた期間を別にすれば、ということだが......。
「こちらには、お仕事で越してらしたんですか?」
「うん、この町にたまたま仕事の口があったものだから」
「じゃあ、私と似たような境遇ですね」と彼女は言った。「私も仕事を見つけて、去年の春にこ ちらに越してきたばかりなんです。 それまでは札幌に住んでいました。 そこで銀行に勤めていた んです」
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