Created on September 25, 2023 by vansw
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のコーヒーショップのスピーカーから流れる、ポール・デズモンドのアルトサックスの音色を思 った。尻尾を立てて庭を横切って歩いて行く痩せた孤独な雌猫のことを思った。 それらは私の精 神をこの世界に少しなりとも繋ぎ留めているだろうか? それともそんなものは、 語るに足らな
いあまりに些細な事象なのだろうか?
私は少年を見た。 彼は金属縁の眼鏡の奥から目を細めて私を見ていた。 私の心の動きを読み取 っているみたいに。
「でもいったいどうやって、 きみはその街に行くつもりなんだろう?」
彼は私を指さし、 それから自分自身を指さし、その指をあらぬ方向に向けた。
私はそのジェスチャーを自分の言葉に置き換えた。 「ぼくがきみをそこまで連れて行く。 そう いうこと?」
「ジェレミー・ヒラリー・ブーブ博士」の絵のついたパーカを着た少年は、黙ってこっくりと肯 いた。イエス。
私は言った。「でも、ぼくにそんなことができるんだろうか? ぼくは自分の意思で行きた いと思って、その街に行くことはできない。ましてや、きみをそこまで案内して行くなんてとて もできそうにない。ぼくは何かの偶然で、たまたまそこにたどり着いたというだけなんだ」
少年はひとしきりそれについて考えを巡らせていた(あるいは考えを巡らせているように見え た)。それから何も言わずに椅子からさっと立ち上がった。 そしてポケットからきれいに折り畳 まれた白いハンカチーフを出して、もう一度丁寧に口元を拭った。それはブルーベリー・マフィ ンをもらったことへの謝意を表す、彼なりのジェスチャーだったのかもしれない。 あるいはただ
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