Created on August 29, 2023 by vansw
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流れはもうそこにはない。 最後のカーブを折れたところで川は前に進むことを諦め、色を深い青 へと急速に変えながら、まるで獲物を呑み込んだ蛇のように大きく膨らみ、巨大な溜まりをつく り出していた。
「近寄らないでね」、君は私の腕を強く掴む。 「表面にはさざ波ひとつなくて、穏やかそうに見え るけれど、一度引きずり込まれたら二度と浮かび上がってこられないのだから」
「どれくらい深いんだろう?」
「誰にもわからない。 底まで潜って戻ってきた人はいないから。 話によればその昔、ここに異教 徒やら戦争の捕虜やらが投げ込まれたらしい。 壁ができる前の時代のことだけど」
「放り込まれると、二度と浮いてこない?」
「溜まりの底には洞窟が口を開けていて、 水に落ちた人はそこに吸い込まれる。 そして地底の闇 の中で溺れ死ぬことになる」、君は寒気を感じたように肩をすくめる。
溜まりの発する巨大な息遣いが、 あたりを重く支配していた。 その息遣いは低くなり、それか ら急速に高まり、やがて咳き込むように乱れた。 そしてあとに不気味な静寂が訪れる。 その繰り 返しだ。 空洞が大量の水を吸い込んでいく音なのだろう。君は羊の脚の骨ほどの大きさの木ぎれ を草の間に見つけ、溜まりの中に投げ込む。 木ぎれは五秒ばかり水面に静かに浮かんでいたが、 突然何度か小さくぶるぶると身震いし、指を一本立てるように水面に直立し、それからまるで何 かに引っ張られるようにすっと水中に姿を消す。 そしてもう二度と浮かび上がってこない。 あと には溜まりの深い息遣いだけが残った。
「見たでしょう? 底には強い渦が巻いていて、 すべてを暗黒の中に引きずり込んでいく」
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