Created on September 25, 2023 by vansw
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るようなことはなく、少しでもその人生を自分にとっても周囲の人々にとっても有益な
ものとするべく、精一杯努力をした。
その生活はかなり孤立したものではあったけれど、それでも彼は他者との心の交流を大切にし た。なにより読書を愛し、財政難に陥った町営図書館の始末を引き受け、私財を投じてその運営 にあたり、蔵書を充実させた。おかげで小さな町のほとんど個人的な図書館にしては、その蔵書 は数においても質においても、驚くほど充実したものになっていた。私はそのような子易さんの 折り目正しい生き方について、敬意を払わないわけにはいかなかったし、毎週月曜日の墓所への 訪問は墓参りというより、生きている友人に会いに行くような心持ちのものになっていた。
しかしその二月の朝は、格別に冷え込んで、さすがに墓前でゆっくり独白に耽っているような 余裕はなかった。 二十分ばかりで諦めてそこを引き上げ、 残った雪でつるつると滑る寺の階段を、 転ばないように注意して降りた。そしていつものように駅近くの小さなコーヒーショップに入っ て暖をとり、温かいブラック・コーヒーを飲み、マフィンをひとつ食べた。店にはプレーンとブ ルーベリーの二種類のマフィンが置かれていたが、私が食べるのはいつもブルーベリーの方だ。 雪の舞う月曜日の朝のコーヒーショップには、私の他に客は一人もいなかった。いつもの女性 髪を後ろでぎゅっと束ねた、おそらくは三十代半ばの女性がカウンターの中で働いてい るだけだ。 そしていつものように小さな音で古いジャズがかかっていた。 ポール・デズモンドが アルトサックスを吹いていた。そういえば最初にこの店に来たときデイヴ・ブルーベック・カル
テットがかかっていて、そこでもデズモンドがソロを吹いていた。
「ユー・ゴー・トゥー・マイ・ヘッド」と私は独り言を言った。
431 第二部