Created on September 25, 2023 by vansw

Tags: No tags

408


できるだけ気配を殺して猫たちの姿を観察してみた。 子猫たちは今では少しずつ目が開きかけ、 毛並みも前よりは艶やかになっていた。 母猫は優しげに目を細め、せっせと子供たちの毛を舐め 続けていた。 もっと近くに寄り、手を伸ばして猫たちに触れたい欲求に駆られたが、我慢をした。 そして少年がどのような気持ちでその猫の一家を、あれほど熱心に長いあいだ眺めていたのか、 それを自分の中に再現したいと思った。しかしもちろんそんなことはかなわない。


一週間後に図書館の女性たちの手で子猫たちの写真が撮られ、図書館の入り口にある掲示板に 「猫ちゃんの里親募集」のポスターが貼り出された。 可愛い子猫たちだったし、写真写りも良か ったから、ほどなく五匹すべての引き取り手が決まった。 そして猫たちはそれぞれに新しい家庭 に引き取られていった。 母猫は次々に子供たちを持ち去られ (連れて行かれるときはさして抵抗 もしなかったのだが)、最後の一匹がいなくなったあと何日かはパニック状態に陥っていた。庭 のあちこちを歩き回って子供たちを探していた。 彼女が必死に子供たちを呼ぶ声が聞こえ、図書 館の女性たちは仕方ないこととはわかっていても しかし母 みんなその母猫に同情した。 猫も数日後には諦めたらしく、子供を産む前の行動様式にすんなりと復帰した。 来年になればお そらく、また同じように縁側の下で五匹か六匹の子供を産んで育てていることだろう。 「イエロー・サブマリンの少年」が、子猫たちがいなくなってしまったことについてどう感じて いるのか、私にはわからなかった。添田さんにもそれはわからなかった。 彼は子猫たちの消滅に ついて、ただのひとことも語らなかったからだ。ただ裏庭に猫の一家を見に行くという日々の習 慣がなくなっただけだ。 そもそも最初からそんなものは存在しなかったかのように。