Created on September 25, 2023 by vansw
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もし知っていたとしても不思議はないと私は思った。 子易さんが幽霊になってこの地上を彷徨 っていることは私も知っているし、添田さんも知っている。 子易さんが面倒を見ることを引き受 けたその少年が知っていたとしても、決して驚くべきことではない。 子易さんにはやり残したこ とがいくつかあって、死んでしまったあとも彼の魂は、いわばその残務整理のようなことをやり 続けている。「イエロー・サブマリンの少年」の後見も彼にとってはおそらく、その「やり残し たこと」のひとつになっているはずだ。
少年はそのあともやはり毎日欠かさず図書館に姿を見せた。 そして次々に本を読破していった (昼食もとらずに)。私は添田さんが一昨年の春から記録している、この図書館における彼の読書 リストを見せてもらった。そこには驚くほど多くの数の、そしてまた驚くほど多くの種類の書籍 の名前が並んでいた。 イマヌエル・カントから、本居宣長から、フランツ・カフカから、イスラ ム教の経典から、遺伝子の解説書から、スティーブ・ジョブズの伝記から、コナン・ドイルの 『緋色の研究』から、原子力潜水艦の歴史から、吉屋信子の小説から、昨年度の全国農業年鑑か ら、「ホーキング、 宇宙を語る」から、シャルル・ドゴールの回顧録に至るまで。
それらすべての情報=知識が、彼の頭脳にそのままそっくり収納されたのかと思うと、私は驚 嘆の念に打たれた・・・・・・というか、目眩がするほどだ。おまけに私が目にした読書リストは、この 図書館で読まれた本に限られているのだ。それに加えて、図書館以外の場所でどれだけの量の本 が読まれているのか、そこまでは添田さんにも把握しきれない。それらの膨大な知識は彼にとっ てどのような意味を持っているのだろう? どのような役に立っているのだろう?
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