Created on September 21, 2023 by vansw

Tags: No tags

380


町においてはそれなりの社会的地位もありましたから、新しく妻をめとるのは当然のことのよう にまわりには思われていたのです。 そしてわたくしに近寄ってくる女性も、いないわけではあり ませんでした。


しかしそのような中に、妻に対する想いに匹敵するものを、 わたくしにもたらしてくれる相手 は一人も見当たりませんでした。 どれほど容貌の優れた女性も、人柄の美しい女性も、亡くなっ 妻がそうしてくれたようには、わたくしの心を震わせてはくれません。 そしてわたくしはある ときから、こうしてスカートを身につけるようになりました。 このような山中の保守的な土地柄 でありますし、妙な格好をして町を歩く風変わりな男に見合い話を持ち込んでくる酔狂な人はさ すがにおりませんからね」


そう言って子易さんはくすくすと笑った。 それから真顔に戻って言葉を続けた。


「わたくしの申し上げたいのはこういうことです。いったん混じりけのない純粋な愛を味わった ものは、言うなれば、心の一部が熱く照射されてしまうのです。 ある意味焼け切れてしまうので す。とりわけその愛が何らかの理由によって、途中できっぱり断ち切られてしまったような場合 にはそのような愛は当人にとって無上の至福であると同時に、ある意味厄介な呪いでもありま す。わたくしの言わんとすることはおわかりになりますか?」


「わかると思います」


「そこにあっては年齢の老若とか、時の試練とか、性的な体験の有無とか、そんなことはたいし た要件ではなくなってしまいます。 それが自分にとって百パーセントであるかどうか、それだけ が大事なことになります。 あなたが十六十七歳のときに相手の女性に対して抱かれた愛の心持


380