Created on August 28, 2023 by vansw
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引いた戦争だったんだ)、そこに辿り着くのは簡単なことではなかったが、軍隊時代のつてを頼 って軍の許可証を手に入れ、その宿屋に宿泊することができた。 顔なじみの主人に頼んで一晩だ け、前と同じ部屋をとってもらった。 ガラス戸のついたベランダのある部屋だよ。 そして息を凝 らして夜の到来を待った。女は同じ時刻に、同じ場所に現れた。あたかも私が戻ってくるのを待 ち受けておったかのようにな」
老人はそこでまた口を閉ざし、冷えた代用コーヒーをすすった。 再び長い沈黙があった。 それで、あなたは見たのですか、 その女の右側の横顔を? 声にならない声で私は尋ねた。 「ああ、見たとも」と老人は言った。「私は渾身の力を振り絞って金縛りをふりほどき、ベッド から立ち上がった。 まったく簡単なことではなかったが、 一念でやり遂げた。 ガラス戸を開けて ベランダに出て、椅子に腰掛けたその女の右側にまわった。 そして満月の明かりに照らされた右 側の顔をのぞき込んだ・・・・・・そんなことしなければよかったんだが」
そこには何があったのですか?
「そこに何があったか? ああ、それを説明できればいいのだが」と老人は言った。そして古井 戸のように深いため息をついた。
一部
「そこで自分が目にしたものを、自分自身になんとか説明しようと、私は長い歳月をかけて言葉 を探し続けた。 あらゆる本をひもとき、あらゆる賢者に教えを請うた。 しかし求める言葉を見つ けることはできなかった。 そして正しい言葉が、 適切な文言が見つけられないことで、私の苦悩 は日ごとに深いものになっていった。苦痛は常に私と共にあった。 まるで砂漠の真ん中で水を求 める人のようにな」