Created on September 17, 2023 by vansw
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れは知りようのないことでした。
もちろん子易さんはこの図書館を愛しておられましたし、 それが彼の生きがいになっていたこ とに間違いはありません。 子易さんはこの図書館にいることに喜びを覚えておられました。 それ は確かです。 しかしそれで心が満ち足りていたかというと、そうではなかっただろうと思わない わけにはいきません。 子易さんの心には深い空洞がぽっかりと空いているように思えてなりませ んでした。 何ものにもその空洞を満たすことはできません」
添田さんはそこで口をつぐんで、何かを考え込んでいた。
私は質問した。「添田さんはこの図書館が設立されたときから、ここで働いておられるのです ね」
「はい、ここで働くようになって、かれこれ十年になります。 私が夫の仕事の関係でこの町に越 してきたとき、新しくできた町営の図書館で司書を募集しているという話を耳にし、さっそく応 募してみました。私は結婚前にしばらく大学の図書館で司書の仕事をしていたことがあり、いち おう資格も得ていましたし、何よりその仕事が気に入っていたのです。本は大好きでしたし、も ともと几帳面な性格です。 図書館での仕事は性に合っています。ちょうどこの部屋で、 この館長 室で、子易さんの面接を受けました。 そして子易さんは私のことをどうやら気に入ってくださっ たようでした。 それ以来ずっと、子易さんの下で働いてきました。 最初から一貫して、私がここ の唯一の専属職員ということになっています。働きやすい職場ですし、 こんな小さな町ですがそ の割に図書館の利用者は多く、やりがいもあります。 冬が厳しくて長い地方に住む人々は、概し てよく本を読みます。 いろんな意味において、私にとっては満足のいく豊かな十年間でした」
もと
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