Created on September 17, 2023 by vansw
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切望せつぼう こしらえる
たない図書館でしたから。
子易さんが私費を投じてこの図書館を設立されたのは、まず第一に、自分が理想として思い描 く図書館を所有し、運営することが、昔からのひそかな夢だったからです。 居心地の良い特別な 場所をこしらえ、数多くの本を集め、たくさんの人々に自由に手に取って読んでもらうこと、そ れが子易さんにとっての理想の小世界でした。いや、小宇宙と言うべきなのでしょうか。 まだ若 い頃、自らが小説家になることに熱意を抱いておられた時期もありましたが、その望みにある時 点で見切りをつけてからは、また奥さんとお子さんを亡くされてからは、それが彼の人生にとっ ての唯一の切望となったようでした。
そして子易さんにはもう財産を引き渡すべき肉親もいません。妻もなく子もなく、 また母親も 父親のあとを追うように亡くなっていましたし、身内でただ一人残った妹さんも、それなりのお うちに嫁いで東京で暮らしておられ、会社の売却益も受け取ったので、それ以上の財産相続は望 まないということでした。 また子易さん自身は贅沢な暮らしをすることにまるで興味がなく、驚 くほど質素な生活を送っておられました。 会社を売却したお金をほとんどそのまま投じて財団を 設立し、その資金で図書館を新装され、当然のこととして図書館長に就任されました。言うなれ ば積年の夢をかなえられ、 ご自分の小宇宙を起ち上げられたのです。
そしてそれからの十年間、子易さんは図書館長としてその小宇宙と共に歳月を送ってこられた わけですが、彼のその時期の人生がどれだけ満ち足りたものであったか、どれほど平穏なもので あったか、私たちには知りようもありません。 子易さんは常ににこやかに穏やかに、まわりの私 たちに接しておられましたが、 実際のところその胸の内にどんな思いを抱えておられたのか、そ
343 第二部