Created on September 17, 2023 by vansw

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かねて、


く、すべての家事を自分でなさっていたようです。 家業の酒造会社の経営は不備がない程度に無 難にこなしておられましたが、熱意というほどのものは見受けられませんでした。 これまで続い てきた流れを損なわないように、穏やかに全体に目を配っておられたという程度のものです。世、 間との交際もできるかぎり避け、自宅の近辺にある会社への行き帰りを別にすれば、外出なさる こともほとんどありませんでした。 亡くなった二人の月命日には欠かさずお墓参りをなさってい たようですが、それ以外に町の人たちが彼の姿を見かけることはまずありませんでした。 どれだ け長い歳月が経過しても、お子さんと奥様の死の衝撃から立ち直ることはできなかったのです」


長く病床に就いていた父親がやがて亡くなり、子易さんは一家が経営してきた酒造会社を、か ねてから熱心に買収を申し出ていた大手企業に売却することにした。 名前が全国的に知られても 大量生産に走らず、四代にわたって質の高い清酒を堅実に製造してきた会社だったので、ブラン ドの価値は高く、かなりの高額で名称と施設一式を売却することができた。 古くからの従業員た ちには手厚い退職金を払い、一族の人々にもそれぞれの持ち株に応じて、売却金を公正に分配し た。 子易さんはみんなに信用され、好意を持たれていたので(そしてまた彼の性格が会社経営に 適しているとはいえないことを、誰もが承知していたので)、その取引に異議を唱える者はいな かった。子易さんの手に残されたのは売却金の残りと、ずいぶん前から使われなくなっていた古 い醸造所と、実家だけだった。


「もともと意には染まなかった家業からようやく解放され、晴れて自由の身になったあと、子易


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