Created on September 15, 2023 by vansw
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乾いた音。その一続きの音は家のすぐ前から聞こえてきたようだった。そしてそれに続く、すべ ての音がどこかにすっぽり吸い込まれてしまったような気味の悪い沈黙。 彼女は反射的にガスの 火を止め、サンダルを履いて急いで玄関を出た。 そして門の外に出た。
彼女がそこで目にしたのは、急ハンドルを切ったかっこうで道路を塞ぐように斜め向きに停車 している大型トラックと、そのタイヤの前に転がっている、ぐにゃりとねじ曲がった赤い子供用 の自転車だった。 子供の姿は見当たらなかった。
「しん!」と彼女は叫んだ。 「しんちゃん!」
しかし返事はない。トラックのドアが開いて、中年の運転手が降りてきた。男の顔は蒼白で、 身体全体がぶるぶる震えていた。
子供はそこから五メートルばかり先の道ばたまで飛ばされていた。かなりの勢いでトラックに 衝突し、その身体はおそらくゴムボールのように軽々と宙を飛んだのだろう。意識を失った小さ な身体は、何かの抜け殻のようにぐったりとして、恐ろしいほど軽かった。口は何か言いかけた まま果たせなかったみたいにむなしく半開きになり、瞼は閉じられたままだった。 口の端からは よだれが細い筋になってこぼれ出ていた。母親は飛んでいって子供を抱き上げ、全身を素速く点 検した。 見たところどこからも血は流れていない。 それで彼女は少しだけほっとした。 少なくと も血は流れてい
「しんちゃん!」と彼女は子供に声をかけた。しかし反応はない。目を閉じたままびくりとも動 かない。両手の指もだらんと垂れたままだ。 呼吸をしているかどうかもわからない。心臓が動い ているかどうかもわからない。彼女は子供の口元に耳を近づけ、息づかいを感じ取ろうとした。
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