Created on September 15, 2023 by vansw
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という一心で、最終的にその条件を呑まないわけにはいかなかった。 そして二人は彼の実家で、 ほとんど形だけの簡素な結婚式を挙げた。式に呼ばれたのは少数の身近な親戚と知人だけで、披 露宴も開かれず、町の多くの人は彼が結婚したことにも気づかないほどだった。
子さんとしては酒造会社の経営など一切放り出し、古くさく狭い町とはあっさり縁を切り、 彼女と二人きり、東京で自由で気楽な結婚生活を送りたかったのだが(もし実際にそうできたら、 どれほどそれは喜ばしいことだったろう)、いくらなんでも古くからの従業員たちや、寝たきり の父親や彼ひとりに頼っている家族を放り出して、勝手に町を出て行くわけにはいかなかった。 好むと好まざるとにかかわらず、彼には人としての責務があった。 成り行き上押しつけられたこ ととはいえ、いったん引き受けた以上、簡単に放棄することはできない。
また現実問題として、この年齢になって、手に職もなく、仕事のキャリアらしきものもなく、 文芸作家として生活していくだけの才覚もなく(そんな才覚が自分にあるという確信はもう持て なくなっていた)、東京にふらりと出て行って、そこで何をすればいいのだろう?
だから子易さんとしては、彼女の持ち出したその「通い婚」という提案を受け入れないわけに はいかなかった。仕方ない、結局のところ人生のほとんどすべては妥協の産物ではないか。 そし て彼はそのような不自由にして忙しい結婚生活を、五年近く続けることになった。
彼女は金曜日の夜に、さもなければ土曜日の朝に、電車を乗り継いで町にやって来て、日曜日 の夕方に東京に帰って行った。 あるいは彼が東京に出て、 そこで週末を過ごした。夏と冬の休暇 にはまとまった日々を二人で共にすることができた。 どこまでも守旧的な父親はもし元気であれ ば、そのような夫婦生活のあり方にさんざん文句を並べ立てたことだろうが、彼は(まあ、あり