Created on September 15, 2023 by vansw

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いそうになっていた知的な種類の好奇心が、 再び熱気を取り戻してくるのが感じられた。 それは 彼にとっては何よりも喜ばしいことだった。


夏期休暇を利用してこの町をしばらく訪れていた彼女を紹介され、何度か顔を合わせ、会話を 交わして親しくなったあと、彼は機会をつくってたびたび東京に足を延ばし、彼女とデートをし た(ちなみに当時の彼はスカートははいておらず、ごく当たり前のこざっぱりとした服装をして いた)。


そうした数ヶ月の交際期間のあと、彼が勇を鼓して結婚を申し込んだとき、彼女は即答を避け た。「悪いけれど、考えるのに時間が少しほしいの」と言った。そしてそれから数週間にわたっ て、彼女は深く逡巡していた。


彼のことはとても好きだったし、信頼できる人だと思った。 一緒にいて楽しかったし、彼と結 婚すること自体に異論はなかった (彼女はその少し前に、子易さんにとってはうまい具合にとい うべきなのだろう、それまで交際していた男性と破局を迎えたばかりだった)。しかし語学を生 かしたやりがいのある専門職と、都会での一人暮らしの気楽さを捨て、酒造業者の妻として、 ま た旧家の嫁として福島県山中の小さな町に収まるのは、彼女にとって明らかに気の進まないこと だった。


結局、何度かの話し合いの末、結婚はしても当分のあいだ彼女は現在の仕事を続け、週末と休 の間だけこの町に通ってくる ~あるいは子易さんが暇を見つけて東京に出て行くという 条件で二人の間に折り合いはついた。もちろん子易さんとしては納得のいく取り決めではなかっ たし、彼なりに熱心に説得はしたのだけれど、彼女の決心は固かったし、彼女を手放したくない


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