Created on September 15, 2023 by vansw
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しかし子易さんはもう亡くなった人なのだと、私の口からあなたに教えることはできません。 それはなんと言いますか、いかにも差し出がましいことに思えたのです。 もし子易さんがそのこ とを 自分が生きた人間ではないことをあなたに知らせたければ、自らおっしゃるはずで す。おっしゃらないということは、まだその時ではないということなのでしょう。 ですから私は 沈黙して、ことの進展をそばから見守ってきました。つまり私は大事な事実を、私一人の胸のう ちに隠したまま、この何ヶ月かを過ごしてきたわけです。 私はあなたにお教えするべきだったの でしょうか? つまり、子易さんは生きている実在の人間ではなく、なんと言えばいいのでしょ う……魂というか、 亡霊のような存在なのだという事実を」
私は言った。「いいえ、たぶんあなたの言うとおり、子易さんはご自分の口からその事実を打 ち明けたかったのだと思います。 その適切な時機を見計らっておられたのでしょう。ですからあ なたがそうして口を閉ざしていたのは、決して間違っていなかったはずです」
私たちはしばらくの間、それぞれに沈黙を守っていた。私は窓の外に目をやり、雨がまだ降り 続いていることを確認した。今のところまだ雪には変わっていない。音を立てない静かな雨だ。 大地に庭石に、木の幹に無音のうちに浸み込んでいく。そして川の流れに加わっていく。
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私は添田さんに尋ねた。「子易さんはどういう人だったのですか? この町で生まれたという 話は聞きましたが、どのような環境で育ち、若い頃はどのような人生を送られ、そしてどのよう な経緯でこの個人的な図書館をつくられたのでしょう? 考えてみれば、彼という人間について ほとんど何も知らないようなものです。 ご本人に直接何度か質問してはみたのですが、いつも答 えをはぐらかされているような具合でした。 自らに関しては多くを語りたくないという風でした。