Created on September 15, 2023 by vansw
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子易さんはストーブの前で背中を丸め目を閉じ、長い時間、深く考え込むように沈黙を守って いた。そのあいだ身体は微動だにしなかった。
「あなたは影を失った経験をお持ちの方だ」、彼はやがて沈黙を破ってそう言った。そして背筋 を伸ばし、目を開けて私の顔を見た。
「どうしてそれがおわかりになるのですか? 私が一度は影を失ったことのある人間だというこ とが
子易さんは二度ばかり首を振った。「わたくしは幽霊です。 生命を持たぬ意識です。 でありま すから、普通の人には見えないものが見えますし、普通の人には理解できないことが理解できま す。 あなたが一度は影を失ったことのある人だということは、一目で見て取れました」
「人がその影を失うというのは、いったい何を意味するのでしょう?」
子さんは眩しいものを見据えるときのように、両目をぎゅっと細めた。
「ああ、あなたにはそれがおわかりになっておられないのですね?」
「ええ、それがどういうことなのか私にはよくわかっていません。そのときもわからなかったし、