Created on September 12, 2023 by vansw

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あらが


さには、私はいつも抗いがたく心を惹かれてしまうのだ。


子易さんは椅子から立ち上がり、ストーブの上で白い湯気を上げていた薬罐を手に取った。 そ して沸騰した湯を落ち着かせるべく、器用な手つきでそれを宙でくるくると回した。 たっぷり水 を張った大きな薬罐はかなりの重さがあるはずだが、彼の手つきは見るものにそんなことを感じ させなかった。 それから紅茶の葉を計量スプーンで正確に量り、適温に温めておいた白い陶器の ポットに入れ、そこに注意深くお湯を注いだ。 ポットに蓋をしてその前で目を閉じ、 よく訓練さ れた王宮の衛兵みたいにぴたりと直立した姿勢を取った。いつもと同じ手順だ。いや、手順と言 うよりは儀式に近いかもしれない。


子易さんは意識を絞りあげ、 体内に内蔵された特別な時計を用いて、紅茶をおいしく淹れるた めの最良の時間を計っているようだった。 この人は時計の針みたいな便宜的な用具を必要とはし ないのだろう。


やがて彼の中でその「最良の時間」が経過したらしく、まるで呪縛が解かれたかのように直立 の姿勢を崩し、子易さんは再び動き始めた。 前もって温めておいた二つのカップに、ポットから 紅茶を注いだ。ひとつのカップを手に持ち、湯気の香りを鼻で確かめ、その神経情報を脳に伝達 し、それから満足したように小さくこっくりと肯いた。一連のおこないが無事に達成されたのだ。 「ああ、まずよろしいようだ。どうぞお飲み下さい」


私たちはその紅茶に、砂糖もミルクもレモンも、ほかの何ものも必要とはしなかった。 それは そのままで見事に完結した紅茶だった。 温度もまさに完璧だ。 濃密で香ばしく、温かくそして上 品だった。そこには神経を穏やかに慰撫してくれるものが含まれていた。もし何かを足したりし


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