Created on September 12, 2023 by vansw
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半地下の部屋からは明かりが微かに漏れていた。 扉についた磨りガラスの小さな窓から、 黄色 い明かりが廊下をほんのりと照らしていた。 私は部屋の扉を小さくノックした。 中から咳払いが 聞こえた。 そして子易さんが「どうぞ、おはいりなさい」と言った。
つる
子さんは赤々と燃えるストーブの前に腰を下ろし、私を待っていた。天井から吊された古い 電球がひとつ、部屋を不思議な色合いの黄色に染めていた。 机の端っこにはお馴染みの紺色のベ レー帽が置かれている。
そこにあるのは、私が電話を切ったときに頭に思い浮かべたのとそっくり同じ光景だった。 夜 中に無人の図書館の奥の一室で、私を待ち受けている小柄な老人(灰色の髭をはやし、チェック のスカートをはいている)。
その情景は、子供の頃に読んだ絵本の一ページのようでもあった。 何かが今変わろうとしてい
そんな予感がそこにはあった。通りの角を一つ曲がると、そこに何かがいて、私を待ち受 けている。それは私が少年時代にしばしば感じていたことだった。 そしてその何かは私に大事な 事実を告げ、その事実は私にしかるべき変容を迫ることになる。
私は毛糸の帽子をとり、手袋と一緒に机の上に置いた。 カシミアのマフラーを外し、 コートを 脱いだ。 部屋はもう十分暖かくなっていたからだ。
「いかがでしょう、紅茶を飲まれますかな?」
「ええ、いただきます」と私は少し間を置いてから答えた。 今ここで濃いお茶を飲むと眠れなく なってしまうかもしれない。でも何かが無性に飲みたかったし、子易さんの淹れる紅茶の香ばし
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283 第二部