Created on September 11, 2023 by vansw

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やがてストーブ全体がしっかり暖まると、水を入れた薬罐をその上に載せた。 しばらくして薬 罐がかたかたと音を立て、白い湯気を勢いよく吐き始めると、その湯で紅茶を淹れた。 ストーブ で沸騰させた湯で淹れた紅茶は、同じ茶葉を使っているのに、普段より香ばしく感じられた。


私はその紅茶を飲みながら、目を閉じて、 あの高い壁に囲まれた街のことを思った。私が夕方 図書館に行くと、ストーブはいつも赤々と燃え、その上で大きな黒い薬罐が湯気を立てていた。 そして簡素なあるときにはところどころ色褪せ擦り切れた衣服に身を包んだ少女が私の ために薬草茶を用意してくれた。 彼女のこしらえる薬草茶はたしかに苦くはあったけれど、それ は我々が(こちらの世界の) 日常生活で用いる「若さ」とありようを異にしていた。私の知る言 葉では形容することのかなわない、特別な種類の苦さだ。おそらくそれはあの高い壁の内側でし か味わうことのできない、あるいは認識することのできない種類の「苦さ」なのだろう。私はそ の形容することのかなわない風味を恋しく思った。 一度だけでもいい、 あの苦さをまた味わって みたいと。


それでも沈黙の中で赤く燃え続けるストーブと、 夕暮れを思わせるほの暗い部屋と、時折かた と音を立てる古い薬罐が、その街をこれまでになく私の身近に引き寄せてくれた。 私は目を 閉じたまま、その失われてしまった街の幻想の中に長いあいだ浸っていた。


でもそんな幻想に浸りきり、ストーブの火の前で無為に一日を過ごしているわけにはいかない。 紅茶を飲み終えると、深呼吸をして気持ちを切り替え、その日の仕事に取りかかった。 その月


267 第二部