Created on September 11, 2023 by vansw
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れ
しかしそれは結果的には、私にとってけっこうありがたい状況だったと思う。 どんなちっぽけ な田舎の町にだって、官僚的な部分は避けがたくある。 いや、小さい体であればあるほど、縄 張り争いみたいなのは熾烈かもしれない。そういう面倒な部分と関わりを持たずにすむのは、ま ず歓迎すべきことだった。
子易さんは自分でも予告していたように、数日に一度のペースで館長室を訪れた。 彼が姿を見 せる時刻はその日によってまちまちだった。 朝の早いうちに来ることもあれば、夕方近くに来る こともあった。私たちは親しく話をしたが、自らについて子易さんは、相変わらずほとんど何も 語らなかった。彼がどこに住んで、どんなことをして暮らしているのか、そういうことを私は何 ひとつ知らなかった。 この人は私生活について語ることを好まないのだろうと思って、 こちらか らはあえて何も尋ねなかった。 彼がその穏やかな (そしていくぶん特異な口調で口にするのは、 図書館の運営に関する職務上の事柄に限られていた。
子易さんは館長室に入るとまず最初にベレー帽を脱ぎ、注意深くその形を整え、デスクの片端 にそっと置いた。 その位置は常に正確に同じだった。 向きも同じ。そこ以外の場所に、違う向き に帽子を置いたりすると、何か良からぬことが持ち上がるとでもいわんばかりに。 その綿密な作 業がおこなわれている間、彼はまったく口をきかなかった。唇は堅く結ばれ、儀式は沈黙のうち に厳粛におこなわれた。 それが終わると彼はにこやかな顔になり、私に挨拶をした。
彼は常にスカートをはいていたが、腰から上に関しては通常の、むしろ保守的と言っても差し 支えないような男性用衣服を身につけていた。 首のところまでボタンをとめた白いシャツに、実
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くちびる
百川
입술