Created on September 10, 2023 by vansw

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それからほどなく、私は十年以上にわたって一人暮らしをしていた中野区の賃貸アパートを引 き払い、東京を離れ、Z**町の新居に引っ越した。かさばる家具や大きな電化製品は業者を呼 んで引き取ってもらった。 とくに立派な家具や器具でもないし、数も多くない。 書棚に入りきら なくなっていた大量の書籍も、大半は古本屋に売り払った。 これから図書館で仕事をするのだか ら、おそらく読む本に不自由することもあるまい。 不要になった古いスーツやジャケットも、古 着を回収している施設に寄付した。 新しい生活を始めるにあたって、過去の匂いの残っているも のはできるだけ処分してしまいたかった。おかげで荷物は引っ越し便で運べる規模のものになり、 久しぶりにずいぶん身軽になった気がした。


この解放感は、以前経験した何かに似ているなと思って考えてみたのだが、それは私があの高 い壁に囲まれた街に住み始めたときの気持ちに少しばかり似ていた。 もっともあの街に入ったと きの私は、まったく何ひとつ身に携えていなかった。文字通りの身ひとつで私はあの街に入り (そう、私は自分の影すら棄てたのだ)、住居から衣服まで何もかもを街から与えられた。 それら はきわめて簡素なものだったが、不自由は感じなかった。




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