Created on September 10, 2023 by vansw
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るのか、正直言ってわたくしにはよくわかりません。 図書館の仕事なんぞ、 まあかなり退屈なも のですから。それにこの町には、娯楽施設と呼べるようなものはほとんど何ひとつございません。 文化的な刺激も見当たらない。 本当にこんなところでよろしいのですかね」
文化的な刺激はとくに必要としない、と私は言った。私が求めているのは静かな環境だと。 「静かなことはずいぶん静かです。秋になれば鹿の鳴き声が聞こえるくらいです」と微笑みなが ら館長は言った。 「それではあなたがその出版流通会社でなさっていたお仕事の内容を説明して いただけますかな?」
若い頃には足を使って全国の書店を回り、 書籍販売の現場の実態を学んだものだ。 ある程度の 年齢になってからは、本社に腰を据えて流通を調整し、 それぞれの部署に指示を出すコントロー ラーのような役目を果たしてきた。 どのようにうまくことを進めても、必ずどこかから苦情の出 る仕事だ。 しかし私はまず無難にその仕事をこなしてきたと思う。
そんな説明をしているうちに、私はふと気がついた大ぶりなデスクの隅に帽子がひとつぽ つんと置かれていることに。 それは紺色のベレー帽だった。 長年使い込まれているものらしく、 ちょうど良い具合に柔らかくくたびれている。そしてそれは、私が夢の中で目にしたのとまった 同じ 少なくともまったく同じに見えるベレー帽だった。 置かれている位置までも同じ だ。私は息を呑んだ。
いやいかが繋がっている。
時間がそこでいったん動きを止めてしまったようだった。 時計の針は遠い過去の大事な記憶を
219 第二部