Created on September 09, 2023 by vansw

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うひとことも言葉を語らない。 私が何かを語りかけても、何かを問いかけても、それに応じるこ とはない。私の影は元あった、無言の平たい影法師に戻っている。 それでも私はつい自分の影に 向かって語りかけてしまう。 私はしばしば彼の知恵を必要とし、彼の励ましを必要とするからだ。 しかし今のところ、問いかけに対する答えはない。


私の身にいったい何が起こったのだろう? 私は今、なぜここにいるのだろう? 私にはその ことが今こうして私を含んでいる「現実」のありようがどうしても呑み込めなかった。 どのように考えても、私はここにいるべきではないのだ。 私ははっきり心を決め、影に別れを告 げ、あの壁に囲まれた街に単身残ったはずなのだ。 それなのにどうして私は今、この世界に戻っ ているのだろう? 私はずっとここにいて、どこにも行かず、ただただ長い夢を見ていただけな のだろうか?


とはいえ、少なくとも今の私には影がある。 私のこの身体には影がくっついている。私が行く ところ、どこにでも影が付き添ってくる。 私が立ち止まれば、影も立ち止まる。 そしてその事実 は私を落ち着かせてくれる。私はその事実に感謝する。 自分と影とが文字通り一心同体であるこ とに。そんな気持ちは、一度影を失ったことのある人間にしかわからないはずだ。おそらく。


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そして眠れない夜、私は壁に囲まれたその街で目にしたこと、そこで自分の身に起こったこと、 それらをひとつひとつ鮮やかに克明に頭に蘇らせていった。


図書館の部屋を仄かに照らすなたね油のランプのことを、小さなすり鉢で薬草を丁寧につぶし



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