Created on September 08, 2023 by vansw
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かなり真剣に」
「ああ、もちろん心から真剣に幸運を祈るよ。 君にとっていろんなことがうまく運ぶといい」
影は右手を私の方に差し出した。私はそれを握った。 自分の影と握手をするなんて、どうも不 思議なものだ。自分の影が人並みの握力と体温を持っているなんて、それもまた不思議なものだ。 彼は本当に私の影なのだろうか? 私は本当の私なのだろうか? 影が言うように、何が仮説 で何が事実なのか、だんだんわからなくなってくる。
影はまるで虫が殻から抜け出るときのように、重く湿ったコートを脱ぎ、 ブーツを足からもぎ 取った。
「門衛に謝っておいてくださいな」と彼は淡い微笑みを浮かべて言った。「小屋から勝手に角笛 を持ち出して、獣を動かしちまったことでね。 仕方なかったこととはいえ、きっと腹を立ててい るでしょうから」
私の影は降りしきる雪の中に一人で立ち、しばらく溜まりの水面を眺めていた。 そして大きく 一度深呼吸をした。 吐いた息は堅く白かった。 それからこちらを振り向くこともなく、頭から勢 いよく溜まりの中に飛び込んだ。 痩せた身体にしてはしぶきが思いのほか大きく上がり、水面に 大きな波紋が広がった。 私はその波紋が幾重にも輪を広げ、そして次第に収まっていくのを見つ めていた。ようやく波紋が消えると、あとには前と同じ静かな水面が残った。 洞窟が水を吸い込 む、例のごほごほという不吉な音が耳に届くだけだ。 どれだけ待っても、私の影はもう二度と水 面に浮かび上がってはこなかった。
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それからも長い時間、私はそのぴたりと乱れない水面を眺めていた。ひょっとして何か思いも
部
城
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