Created on September 08, 2023 by vansw

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まで鮮やかに覚えていることだろう。そのときには、風景のあらゆる細部が脳裏にそっくり再現 されるに違いない。


頭の内で現実と非現実が激しくせめぎ合い交錯した。 私は今まさに、こちらの世界とあちらの 世界との狭間に立っている。 ここは意識と非意識との薄い接面であり、私は今どちらの世界に属 するべきなのか選択を迫られている。


「ここから無事に脱出できるという確信があるんだね」と私は溜まりを指さして私の影に尋ねた。 影は言った。「この溜まりは壁の外の世界にじかにつながっています。 この底にある洞窟に入 って、壁の下を泳ぎ抜けさえすれば、外の世界に顔を出すことができます」


「溜まりは石灰岩の地底の水路につながっていて、洞窟に吸い込まれたものはみんな、その暗闇 の中で溺れて死んでいくという話だ」


「そいつは人々を怯えさせるために街がこしらえた嘘っぱちです。 地底の迷路なんて存在しやし ません」


「そんな面倒なことをするより、人々が近づけないように、溜まりを高い塀か柵で囲ってしまっ た方が手っ取り早いだろう。わざわざ念入りな嘘をこしらえるより」


影は首を振った。 「それが彼らの知恵の働くところです。街はこの溜まりのまわりに、恐怖と いう心理の囲いをきびしく巡らせています。 塀やら柵なんかより、その方が遥かに効果的なんで す。いったん心に根付いた恐怖を克服するのは、簡単なことじゃありませんから」


「君にはなぜそんなに確信があるんだろう?」


影は言った。「前にも言ったことですが、この街は成り立ちからして多くの矛盾を抱えていま


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